初めての面会 産後2日目 2020.12.29

    NICUとGCU

    病院にはNICUとGCUが併設されていました。

    息子はNICUで順調に成長し生後約4か月後にGCUへ移りましたが、その3か月後に不整脈でNICUに戻りました。そして症状が安定した1か月後にまたGCUに移り、退院までを過ごしました。

    私の中でGCUは、症状が安定している赤ちゃんが退院を待つ場所、退院により近い場所という認識でした。

    GCUでは赤ちゃんは基本的に保育器ではなくコットに寝ていて、面会時はお母さん主体で赤ちゃんのお世話ができます。

    NICUとGCUの説明や違いについては、下のサイトにとても詳しく記載されていたのでご覧になってみてください↓

    はじめてのNICU

    NICU/GCUとは

    「出生」は人生の中で最も尊い瞬間であるとともに、母子ともにリスクの高い瞬間でもあります。その過程の中で、赤ちゃんの呼吸や循環状態がままならず、全身管理が必要になることもあります。早産であればなおさらそのリスクが高まります。

    NICU(新生児集中治療管理室)は、医療スタッフが24時間体制で、そのような赤ちゃんの心拍数や血圧、酸素飽和度(血液中の酸素状態)などをモニタリングしながら、人工呼吸管理や輸液管理といった高度な治療を提供できる場所です。

    GCU(回復治療室)は、NICUで状態が安定してきた赤ちゃんが、引き続き治療を受ける場所です。赤ちゃんの体重や状態によっては最初からGCUに入院することもあります。GCUでは、看護スタッフを中心に、ときに多職種のスタッフと協力し合って、ご家族が自宅で育児を進めていけるように、退院に向けて育児環境の提供や育児指導を行っていきます。

    https://www.nicu.jp/about/

    いざNICUへ

    NICUの中に入ると、初めて見るその特殊な空間に驚きました。

    窓から太陽光が入らないように分厚いカーテンを締めて薄暗くしてあり、たくさんの保育器が並んでいました。

    保育器のそばには大きな液晶モニターや医療機器が置いてあり、時々あちこちから「ピーッ、ピーッ」と警報音が聞こえてきます。

    保育器には、誕生日や血液型、体重などが書いてある名札が貼ってありました。

    『うちの子はどこだろう?』とキョロキョロ探していると、入口のすぐ近くの保育器の名札に【私の名前ベイビー】と書いてありました。

    体重708g、身長32.5㎝

    この時に初めて息子の体重と身長を知りました。

    小さな小さな息子

    看護師が、車いすの私でも見やすいよう保育器の高さを低く調整してくれました。

    保育器の中を覗き込んでみると、その衝撃的な姿に言葉が出ませんでした。。

    私の両手にすっぽりおさまるくらいの小さな小さな赤ちゃんは、裸におむつ姿で仰向けになって寝ていました。

    赤黒い肌、頭にはガーゼが巻いてあり、おへそからどこかへ線がつながっていたり、口に大きなチューブのようなものが入っていました。

    その姿は生きているというより生かされているような、、

    本当に目を覆いたくなるような痛々しい姿でした。。

    『こんなに小さくて、こんな姿で、この子は大丈夫なの?』

    『こんな姿になってまで産まれてきてよかったの?』

    『産んだことは間違いじゃなかったなかったの?』

    様々な思いが込み上げてきて、涙が出てきそうになりました。

    傍にいたNICUの看護師から、保育器の中に手を入れて赤ちゃんに触ってもいいと聞いて、触り方を教えてもらい、そーっと両手で頭と足元を丸く包み込むように、優しく手を添えるような感じで触れてみました。

    息子はとても温かかったです。

    私は胸がキューっと苦しくなり、ついに涙が溢れてきてしまいました。

    『もっとお腹の中に居させてあげれば、、私がもっとお腹を気遣って安静にしていれば、、』

    罪悪感や絶望感で潰れそうになりながら、息子には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

    初めて息子を間近で見て触れることができたのに、この時は『かわいい』や『愛おしい』という感情は全く起きませんでした。

    看護師が写真を撮ってくれると言ってくれたので、息子と初ツーショットを撮りました。

    その時の写真です👇

    「がんばってる、がんばってるね」

    私は息子にそう呟くのが精一杯でした。。

    看護師が「ママも頑張って産んだからね、ママも頑張ったよ」と言ってくれました。

    「かわいいね~」、「きれいな赤色だね~」、「チュッチュッしてるね~」と息子に語りかけながら傍で見守ってくれていました。

    NICUの看護師が息子の様子を話してくれました。

    私と看護師が会話をしているとまるで会話を聞いているかのように、時々おしゃぶりをチュッチュッとしていました。

    息子も生きようと頑張っています。

    主治医との会話

    少しすると、息子の主治医だという先生が現れました。

    お互いに初めましての挨拶をしてから、私は単刀直入に「息子は大丈夫なのでしょうか?」という質問をしたと思います。

    先生も困ったと思いますが、正直に答えてくれました。

    24時間は頑張れた。48時間、72時間の峠を越えられるか、、次は1週間、、と息子がどれだけ頑張れるか、、それは誰にもわかりません。。

    先生との会話の間、泣かないように耐えていましたがマスクの中は鼻水でぐしゃぐしゃ…涙があふれてもう隠しきれていなかったと思います。。

    私は現実を受け止められず、先生の説明もなかなか入ってきませんでした。

    弱い母…

    NICUには2時間滞在できると言われていましたが、おそらく1時間もいなかったと思います。

    息子を見ていることが辛くて、一度気持ちの整理をしたくて、早くその場を離れたかった。

    息子と過ごせる限られた時間かもしれないのに、、

    ごめんなさい。。その時の母はとてもとても弱かったのです。

    体中の激痛は続いていましたが、NICUで息子と会っているときは不思議と痛みをあまり感じませんでした。

    自分の病室に戻るときにそんな話を看護師にしたら「赤ちゃんパワーかな~?」と言われて『なるほど~そうかもしれないな』と思いました。

    午後には尿管カテーテルを抜き、夜には何とか一人で歩いてトイレに行けるようになりました。